父と紅葉と僕の生きる道。

前もって。
文章力は無い。


昨日から高知に単身住んでいる親父が京都へ。
親子水入らずの京都散策。
親父としっかり話したのは、いつ以来か。
それくらい懐かしいもの。


昨日は親父と二人、杯を交わし、
少し多めの言葉を交わした。


社会のこと
現在のお互いのこと
母のこと
姉のこと
妹のこと


自分にとって親というのは
この世に生を受けた瞬間から傍らにいて
何もかもを知り
何もかもを受け止め
何もかもを許し
何もかもを悟っている


ような、人間を超越した何かであった。

いや、むしろ今でもそう思っている部分は確実にある。


人間くさいといえばいいのかは分からないが、
親も一人の人間であることを久しぶりに確認。


男親が息子にしか話さない愛娘の今後のこと。

彼も親である前に、男である。
愛娘に対する想いは、まさに漢。

父親が、愛娘の彼に対して抱く思いは複雑で、
無愛想になり、ひねくれ、子供に還る。
親として、男として。

二人の架け橋になるのは、

彼×時間

という結果であり、とてもシンプル。

愛姉の幸せを握るのも、これである。


僕も一肌脱ぐことが必要になる。
いや、むしろもう脱いでいる。


さて、話は回想にもどる。
その日の最後は二人で銭湯に行き、
部屋に帰って親父をマッサージ。


増えた白髪と、少し丸くなった背中。
時間の経過が年を与えた。
僕ら子供の生活が苦労をかけた。
母のことも考えた。
母もそうだ。
二人にはもう少し迷惑をかけそうだ。




自分もこんな親父になろうと。
母みたいな奥さんと結婚しようと。
うちの家族のような家庭を築こうと。


そんな妄想を繰り広げ、夜は更けた。




本日は朝から一緒に京都を散策。
先日四国八十八箇所巡りを終え、その締めくくりとして
東寺へと出向く。
そして、次に清水へ。
真っ赤に燃えた紅葉。
いつか、両親揃って秋の京都に連れて来たい。
綺麗な秋の京都。


親父を駅まで送り、自分も岐路に着く。


多くを語らずして、多くを理解する。
2を話し、10を理解する。
それが男親子なのかもしれない。


いろんなことを感じ考えた二日間。


来月は学生最後の年越しを実家で。



恩返しするにはまだまだ時間がかかりそうだ。